薬が嫌いなことと健康志向のこと

私は薬がとても嫌いです。それはそれはとてもとても嫌いです。私が世の中の嫌いなものの中でかなり上位にランクインします。その理由やそうなった経緯のことなどを。

 

私が薬を嫌いな理由は本人が健康でありたいという気持ちを削るからです。自分が健康であるための努力をするときに薬はその努力の行動に対し必要ないと言っているような気がするのです。たとえば。眠れないという状態に対し、日中動くことや朝日を浴びること、入浴など本人ができることはたくさんあります。しかし、睡眠薬というものを利用すれば努力をせずに強制的に眠ることができます。気持ちが落ち着かない、と訴えると安定剤を処方されます。どうして気持ちが落ち着かなくなるのか、その原因探しをすることもなく薬を飲んでいました。原因探しをすることをしなかったし、自分から落ち着かない状況を作っていることの可能性なんて考えたこともありませんでした。ただ、あの時は薬を飲んでいることでしっかりした思考能力そのものがなかったように思います。私は昔よく頭痛もありました。そのたびに頭痛薬を求めていました。しかし、私の頭痛の原因は不規則な生活リズムでした。その生活リズムが安定することで頭痛薬が必要になることはなくなりました。昔私はよく風邪をひいて熱をだしていました。それもここ数年はなくなりました。最後に熱が出たのはいつだろう、、、?風邪をひかなくなった直接の原因はわかりませんが(ひいていた理由もわかりませんが)しっかり食べて夜に眠る、その生活になったことの影響は大きいように思います。

 

昔、私は病気の症状と投薬両方重かった時代に自分の健康に対して何も考えたことがありませんでした。健康になりたいと思うことができませんでした。

両親が私に健康を望んでいないことを気づくこともできませんでした。

私は今、健康であることを自分に望んでいます。自分自身の健康や幸せを自分が自分に望むこと、自分が自分を大事にすること、その難しさを日々感じています。

そういうことを心掛けるようになってから、そういうことを考えられるようになってから、薬は嫌いだと思うようになりました。少なくとも自分から進んで薬を求めることはなくなりました。

 

薬に限らず便利なものというのは人間に楽をさせようとする。楽をした分、どこかでなにかの副作用のようなものが生まれる。エレベーターやエスカレーターは運動不足を生む。便利、楽、それが人間の本来の力を眠らせる。使わなくてよい、と言われることで使えなくなっていく。

薬が開発された時のような理由、本来の使用目的ではない理由で使うことが多かったこと、それが薬嫌いになった理由でもあります。本来の目的ではない使い方をしていたから嫌いになった、逆を言えば正しい本来の使い方をしていればここまで薬嫌いになることはなかったのかもしれません。しかしその結果、薬を飲みたくないというのが気持ちの動力源だとしても健康でいるための努力を自分ができるようになり、それが予防につながり健康志向になれたことはよかったと思っています。おかしな薬の使い方をされたこと、してきたことで薬が嫌いになり、薬のいらない自分でいたいと思えたことは今後もずっと予防の意識や健康志向として大事にしたい考え方です。

 

おかしな薬の使い方には出会わなければ出会わないに越したことはないけれど、その時代、時間が私の人生の中にすでにあることは変えられないので。これからはその時のことを教訓に、繰り返さないよう健康志向の自分を失わないように過ごしていきたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました