わたしは○○さま、というものについて時々考えます。「神さま」がいるのなら「神さま」とは別に「創造主様」というものがいると思います。「神さま」は人と仲が良いと思います。神頼み、神に祈る、人が助けを求める存在。かみさま、助けてください。かみさま、一年無事に過ごせますように。神社にいるとされる神様。仏さまも同じイメージ。仏さまはお寺。人が亡くなることと深いつながりがあるもの。亡くなった人が行く世界の主のイメージ。かみさまほとけさま。助けを求める相手。故人の冥福を祈る相手。
神は人に試練を与えるともいわれる。神は人に乗り越えられる試練しか与えない、という言葉。神が人に試練を与える、、、修行をさせる。神は人に祈られ助けを求められる存在である一方、人に試練や修行をさせる存在。人と神様はやり取りをしているし仲があるように思う。
そう考えたときにそれとは別に創造したものがいるという発想に至った。地球そのもの、生命そのもの、神や人に限らずこの世、地球や宇宙も?広げすぎるとわからなくなるけれど神、人、そのどちらをも創造したものがあるように思う。神様がいるのならそれとは別に創造主様がいる。
私はそれを創造主さまと呼んでいる。創造主様に聞きたいことがたくさんある。地球破壊屋、地球壊し屋の人間、知的生命体が存在する意味はなにか。
わたしを人間という禍々しい種族で生まれさせたのはなぜですか。
人間である私にこの考えに至る経験をさせたのはなぜですか。
人間の仕組みについても聞きたいことがたくさんある。
生命に限りを作ったのはなぜですか。
そうすることで高めることの精度をあげさせたのはなぜですか。
(私は時間制限のようなものがあると完成することが増え、また時間を意識することで完成の精度が高くなると思っています。)
人間。
肉体、限りある生命、体。
思い、気持ち、感情、心。
考えること、思考、言語、知能、頭。
知的生命体。
それになにをさせたいのか。人間に何をさせたいのか。
どうして地球(ほし)ひとつ煩悩わがまま私利私欲でお金で回してボロボロにさせて壊す生き物を作ったのですか。
神様はそれを教えてはいないのに。
壊すことよりも大事にするように神様は教えているのに。
私は人類という知的生命体が地球上で一番嫌いな生物です。地球の破壊屋だと思います。壊し屋だと思います。
日々外を見て、増える一方の人工物(電線やマンションやコンクリートの地面、エレベーターエスカレーター、公園、、、)すべてを見て悲しい気持ちになります。とても繁栄発展の文明に素晴らしい未来とは思えない。地球環境に「配慮」という言葉もとても嫌いです。上から目線で勘違いも甚だしいと思います。「考えてあげました」という感じを受け、とても嫌です。地球はにんげんさまのものなのでしょうか?
倫理人道的に、といったりモラル、といったり道徳的な考え方というのは自分(人間)の中だけしか使わないのだなーと思います。命を大事に周りを見る?「人間の」を頭につけたそれは滑稽ではないですか?
エアコンないと死ぬような夏にしたのは誰ですか?
エジソンもびっくりだと思う。まさか自分の発見発明がこんな使われ方をする未来がこようとは。なにもなかった時代の発見や発明と、発見発明をもとにより贅沢、より便利、早く早くとすすめた人たちのどちらが罪か、どちらも罪か。
なぜ創造主さまは神様や人をつくったのか、、、。 知的生命体にさせたいのは星の最期を作ることなのか。知的生命体は星を滅ぼすために存在させられているのか。
寿命を持たせ高めること、成長をさせてなにがしたいのか、なにがほしいのか。
創造主様は「わたし」になにをさせたいのか。
星一つ食いつぶすところを目の当たりにさせて嫌だという気持ちが私の中にたまっていくことに何の意味があるのか。
私も彼らと同じように何も考えずお金を求め彼らの仕組みの中に生きるしかないのか。
私は人をやめたい。だけれどもそれは不可能だから。
できる限り、抗いたい。
自分の中の人間の煩悩とできる限り抗いたい。
そして、私がさせられた医療福祉のお金を持たされた時代も手放して、これだけ考えることのできる私に薬を与え経済活動の中に出てくるなといった彼らのいない世界に行きたい。
私の夢は自分でお金を稼げるようになり、お金を貯めて、人のいない山奥にいって寿命の分をしっかり生きることに専念する、そんな日常を作ることです。
そして創造主様や神様のことを考えたいです。
そういう生きることに集中できるようになったら、今の私を作っている不満のことも違う見え方をするはずだから。
今の私はまだまだ不満や恨みでできています。早く離れたいです。忌まわしい時間と決別したいです。
私の今までは不満のほうが多いし、だからこそ世の中の人間のこともそういう方向のことがたくさん見えてしまうのだと思います。
ただ、私は人間という生き物が嫌いで、私の中のその部分(性質)とうまくつきあうことをしていかないと自分に与えられた命や寿命を心地よい感覚とともに過ごすことができないから、そうしないと今までの不満や恨みつらみの時間と変わらないしその未来は望んでいないから。
私は私が特別だとは思っていない。ただこういう考えに至るだけの経験体験をしてきてしまった。それは一般的ではないと思う。
どうしてわたしが?というのを誰かに聞けるなら、答えてくれるなら、私は創造主様に聞きたい。
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