私がインターネットにホームページを作ることにした理由は収入源にすることが可能という情報を知ったからです。
ネットビジネス、コンテンツビジネス、名前はわかりませんがお金にすることができるという情報を得たからです。
ブログで情報発信をして月収〇〇万という生き方、活動の仕方があると知ったからです。資産化という言葉やインターネット上に自動販売機を作るという表現、不労所得、半不労所得というお金を得る方法があると知ったからです。
私はこれまで成人してから一度も完全な自分の収入のみで生活をしたことがありません。生計を立てたことがありません。具体的には生活保護や障害年金や夫の収入です。過去、生活保護を受けていた時代は受けていた状態としてはもっともというか当然でした。しょっちゅう入退院をしていたし大量の投薬治療を受けていました。「病気で働けない」を理由に受けるものとして正しく受けていたと言うことができるかもしれません。
その後主治医が変わり、また同じタイミングで就労移行支援事業所に通い始め健康状態がみるみる良くなっていきました。薬も減り、規則正しい生活リズムになっていきました。就労移行支援事業所は私にとって学校のような場所でした。職業訓練としての技術習得の場である以上に、10代の時に学校に通う中で学ばなければいけなかったことを学ぶことができました。時間を過ごすことができました。
そこから障害者雇用で社会参加、社会復帰をしました。そして半年ほど経ち生活保護の受給を終了しました。収入と障害年金を合わせるとほぼ同額になったからです。
その後、たくさんの社会の人、社会人の中で時間をすごすことをさせていただきました。経験をさせていただきました。しかし、いまだに障害年金を手放せる収入を得ることはできていません。
私がブログの資産化、コンテンツビジネス、そういった言葉や世界と出会い、サイトを作ってみよう、やってみよう、と思ったのは障害年金を手放すためのお金がほしいから、です。私は生活保護や障害年金に生かされたこと、生かされていること、利用している社会の仕組みに対して感謝の気持ちがないわけではない。感謝の気持ちを持てないわけではない。
しかし、それだけではない。そこにある気持ちはそれだけではない。
恨みや不満のような気持ちも多く持っている。当時の私の精神科医は私を治すための治療をしようとはしませんでした。全く関係のない薬や訴えとは違う薬も多く処方されました。
そして入退院を何度も繰り返した後、症状内容を理由に他の病院を紹介されました。
治す気のない精神科医が仮に治る見込みのない患者だったとしても、それでも壊れるのがわかる薬を与えることに生活保護がある、障害年金がある、治らなくても生きていけるあの仕組みが世の中にあることが無関係ではなかったと思うのです。
迷惑な人間、困った人間、変わった人間、障害者というカテゴリを作ったのは誰のためなのでしょうか。経済活動の場においてそういった人間の受け皿としても活用の場は広がっている気がします。本当に、あの仕組みは必要なのでしょうか。
私は本当に病気だったのでしょうか。
それとも薬によって病気にさせられていたのでしょうか。
「働く場」でのあり方を学ぶ機会や大人になったら社会に出て働くということや常識を学ぶ機会をあの仕組みが奪ったのではないか、と、不満や恨みの感情も私は持っているのです。
私は早く自分で収入を得られるようになって、この、おこぼれちょうだいや現代の隠れ乞食のような自分を変えていきたいです。その収入が雇用による労働ではなくても障害年金や生活保護を手放せるのならそれに越したことはないと思うから。不自然なこと、不条理なこと、不健康なことからは少しでも離れて、笑える未来がほしいです。
これがサイトを作った理由であり、そこに収入を意識している理由です。
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