管理人のこれまで
当サイト管理人(塩原やわらかコーン)は10代後半から精神の健康状態を損ない、高校卒業後は入退院を繰り返し社会(一般社会、経済活動)と遠い世界で生きてきました。医療福祉が生活の中心、基本、ベースで世の中の仕組みのことや多くの人と自分が違うことや世界が違っていることをわからずに生きてきました。
20代後半、就労移行支援事業所で社会復帰や職業訓練について学び、学校のように活用し健康状態が良くなり障害者雇用で社会復帰をしました。規則正しい生活、学校のように通う場、就職を意識した人と時間を過ごすこと、減っていった投薬。体重もこの時大きく健康的に減りました。薬が減ったことで口の渇きからのジュースをのむことや食欲自体が減り体重も健康的に減っていきました。
30代中頃~障害者雇用で社会の働く場に身を置いて生活しているときから病気の部分ではない問題が多発するようになりました。人格の部分と発達傾向の部分です。精神病の病理、症状とは違う問題。人格的な問題。細かくは割愛しますが他者と円滑なコミュニケーションがとれず協調性がない状態でその理由が病気ではなく人格に起因するものでした。発達傾向というのは私にあったのはADHDの部分が多いです。ケアレスミスや忘れ物、不注意とじっとしていることが苦手であること、それから多くの人と違う行動をとってしまうこと。ほかにもさまざまな問題があり働く場に長くいることはできませんでした。
障害者雇用で働いていた時に結婚をし、仕事を辞めないといけなくなりその後ほかの仕事を探していたときに心理をはじめました。そこで私は子供のころからの思い、満たされない、満たされなかった、不当な扱いを受けてきた、自分の不満やいろいろなものがたくさん自分の中にあることを知りました。
今、これまでの自分に起きていた問題の理由やどうすべきか、ということが昔よりだいぶわかってきました。病気の部分は躁うつ病や不安神経症や不眠などです。人格の部分は自傷、過剰服薬、自分が困ることをわざとすること、他者が怒ったり困ったりすることをわざとすること、不快感情を起こすことや迷惑行為加害行為の部分です。
今、わたしはそのどれに対しても「大事にする」「大事にしようと思う」ということを意識するようにしています。より大事にした表現をしていきたいと思っています。
「大事にする」について考えるとき私が一番に大事にしたいと思っているのは「自分自身の健康や幸せを自分が自分に望むこと」です。これまでの問題はその意識が欠けているときに起こっていたものでした。
このサイトはそういった経歴を持つ管理人(塩原やわらかコーン)がこれまでに学んできたこと、知ったこと経験したこと、それから今現在も行っている過去の傷つきや心の癒し、セラピー的なことに関することを記事にして載せています。読んだ人がいつかどこかでちょっと得する、、、もしくは読んでちょこっと良い気分になれる、そんな自分や周囲の笑顔を目指したブログサイトです。
また、今現在も医療福祉のお世話になっている部分が多いので少しでも利用を減らすことや利用しないで生きていけるよう、努力や結果報告の場としても使っていきたいと思っています。
サイトタイトルの「かいりとママとわたしの空間」について
「かいり」という言葉は最初、精神病、精神疾患としての「解離」として私の中にできました。わたしが「自分じゃない」という感覚を強く訴えた時に精神科医に言われました。その後、その感覚をどうがんばってもなくすことができずいろいろな過程を経て探すということをするようになりました。この感覚は自分に何を訴えているのか、どういう時に私はこの感覚にとらわれるのか。この感覚はなんなのか。そうやって探したときに子供の頃の自分に出会いました。自分の過去を振り返った時につらかった時の自分、時代がたくさんあってそれがそのままになっていることがわかってきたのです。インナーチャイルドという言葉もネット情報から心理学?精神医学?で知りました。その時に「解離を探す」をして見つけては対応するということをやっていた時に、夫が「海に里で海里だ!」と言ったのです。そうして私の中の子の名前としての「海里」ができました、、、。私の中でかいりという響きを持つものは解離、海里、かいりの三つの意味、使い方があります。かいりは一番広く無意識全体です。解離も海里も含まれるかもしれません。それがタイトルのかいりの部分です。
「ママ」は海里のお母さんの役割です。私のお母さんでもあるかもしれません。なにしかわたしという一人の人間、知的生命体、一つの体の中で「お母さん」としての機能、役割をしている存在です。これは後から人工的に作ったところがあります。意識して作っている、行っているところがあります。一番最初の誕生のきっかけ?は海里のママとしてのママです。お母さん、と言わないのは自分の実の母親と区別したいからです。
海里とママが中にいる「わたし」。わたしは私の一人称です。わたし、私、の言葉にこだわりはあまりありません。海里とママとわたしは同一の1人の人間です。だけどわたし=かいりではないし私=ママでもない。かいりとママとわたし、1人の人間ではあるけれど、それぞれの表現の場になったらいいなーと思いサイトに私の3つの名前をいれました。
ご意見ご感想お待ちしております。
サイト管理人・塩原やわらかコーン
info@kairi-mama-watashi.com