魔女の宅急便(スタジオジブリ)にまつわる思い出

魔女の宅急便(スタジオジブリ)にまつわる思い出

私は小さいころからジブリの映画が好きで金曜ロードショーのテレビでやるのをよく楽しみにしていました。直接映画館で見たものもあります。魔女の宅急便はその中でもかなり上位に入るお気に入りです。私は小学生の頃に初めて見て、、、初めて見た時のことはそういえば覚えていないけれど(今この記事を書きながら思い出せないことに気が付いた)魔女の宅急便にまつわる思い出がたくさんあります。そのうちのいくつかを書いてみようと思います。

魔女の宅急便で、魔女の子のキキは13歳で一人立ちをして修行に出ます。その「13歳」という響きがものすごく印象に残り、13歳になったら空を飛ぶ、自分も飛べるようになると思い込みそれまでに練習をしないと、と思い、自宅にあった庭用の竹ぼうき(映画に出てくるものとそっくりだった)にまたがって飛ぶ練習をよくしていました。走ったり、ジャンプをしたり、呪文を唱えてみたり。映画の中でキキがスランプ?に陥り飛べなくなりほうきが折れるまで練習をしていたシーン、そのイメージでやっていました。だいぶ大きくなるまでやっていたようで両親は大丈夫かしら(頭が)と少し心配していたそうです。子供の頃の良い思い出、エピソード、記憶です。

大人になってからとある人に「守破離」という言葉を教わり、知りました。茶道や武道で使われている言葉で型があるものに対し型を守る、破る、離れる、という段階がある、ということです。型破り、形無し、破天荒、という言葉もその時一緒に調べて知りました。最初の型を知っていて守破離の段階を経て新しいことをするのが型破り。形無しというのは最初から好き勝手、自分勝手にやるようなことです。破天荒というのはそれとは別で今まで誰もやったことがないことをすること。

その人は睡眠に関する話でその言葉を使って教えてくれました。最初は型やお手本を守ってやるのがよい、自分のやり方を探すのはその次の段階(一度型を習得してから)でよい。だからまずは夜に規則正しく眠る型、習慣を身に着けることが大事なのだと。そしてそれから自分のやり方にシフトしていく、うつっていくのだと。その言葉と意味を聞いたときに連想したのが魔女の宅急便のほうきです。最初、13歳のキキはお母さんの箒より自分で作った箒が良いと言いましたが結局周囲の意見を聞き入れ、お母さんの箒で旅立ちます。(守)そして飛べなくなり箒が折れるまで練習をし、箒を作り直し、(破)それでもうまく飛べず最終的にはデッキブラシでまた飛べるようになります(離)。守破離という言葉を教わりそこから魔女の宅急便の箒を連想したこと、それが二つ目の魔女の宅急便に関連する良い記憶です。

3つ目、最後のエピソードは自宅にある鳥かごとジジのぬいぐるみ(映画の中で登場する物のレプリカ)のグッズに関するものです。これは私が精神病院に入退院を繰り返していた時にファミレスで父と食事をしたときに会計の時に出口付近で見つけ、「退院祝いに買って!」とねだって買ってもらったものです。(というように記憶している)そのジジのぬいぐるみは鳥かごの中で一番下が糸で結びつけてあり取り出せないようになっていました。父が「退院したのに出てこれないね、おりの中だね」と言いました。わたしはその言葉を不思議とずっと覚えていて糸を切ることはいつでもできたのにずっと切らずにそのままの状態で持っていました。コロナ禍でのきっかけで始めた心理の影響で、ある日ふと、そのジジを出したくなり、だいぶ年月が経ってから糸を切りジジを鳥かごから取り出しました。糸を切り、手を入れて出したときは特に何も感じませんでした。それよりもジジを出さないままでいる、動けないままにしておく、糸を切るのはいつでもできる簡単なことなのに妙にこだわるというのか意識をして切らずにいた時間、期間が今でも思い出せます。おりから出られるようにすることはいつでもできる、そのことがわかっていて糸を切らないでいた自分の気持ち。意識や感覚。今、鳥かごの外のジジに特段何かを思うことはないけれど、糸を切らずにいたその時の妙な意識の感覚は今でも思い出すことができます。なにかを意識したりとらわれたり気になってしまうこと、気にしてしまうこと。こだわってしまうこと、妙な強い意識。それはそういう意識があるときその事柄があるからそうなのであってその事柄と離れてみたり無くしてみたりその事柄の状況そのものが変わると何もなかったかのようになる、、、こだわる意識だけではなく、それにまつわる諸々があっけないと感じる瞬間すらもないくらい何もなかったかのようになる、、、そんなものなのかもしれません。いまは鳥かごとジジが変な言い方ですが、ただの鳥かごとぬいぐるみという風に思えます。もちろんジブリの鳥かごとジジで立派な物であるしとても大好きで大切で可愛く思います。だけど糸につながれていたころの妙な強い意識が無くなったことで今はただの、、、なんというかほかのぬいぐるみと同じように置物として見え、楽しむことができるようになりました。それが三つ目の思い出、出来事、記憶です。

魔女の宅急便(ほかジブリ作品)は何度見ても楽しむことができ、私はとても好きです。私は育ちのこじらせでありとあらゆるものに悪いイメージや悪い出来事がつながったりくっついたりすることが当たり前のように多くあるのですが、魔女の宅急便(ほかジブリ関連)の出来事にはそれがほとんどありません。むしろ守破離のようによいイメージが加わったり鳥かごのぬいぐるみでは時間を経て今の自分の中できちんと良い状態にすることができました。私は魔女の宅急便のどこにそんなに惹かれているのかきっと自分でもまだまだ分からない好きなところがあるのだと思います。自分が見聞き、経験体験したものの中で積極的にこれからも生きていてほしいと思うものは私の中でまだまだ少ないです。だけど魔女の宅急便にまつわる思い出はこれからもこのままの方向で自分の中にいてほしいな、と思います。

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